私の備忘録

少しでもずる賢く生きるために

マスク着用指針の変なところ

2023年3月13日からマスクについての取り扱いが、個人の判断で着用するとの方針となるそう。

およそ2年前から極力、仕事でもプライベートでもマスクを着用して来なかった身からするとようやくか。という気持ちになる。

単純にマスク社会が終息に向かうのであれば喜ばしいことだ。

 

しかし、何かが変だ。

 

そもそもだ。

 

最初からマスクの着用、ワクチン接種は任意であったはずだ。

つまり最初から個人の判断に委ねられていた。

 

にも関わらず

マスクをしないなんて非常識!

ワクチン打たないなんて非常識!

外出自粛しないなんて非常識!

とかとか色々批判の的にされ

本来恨むのはウィルスであろうが、ルールを守らない人を排除する動きが少なからず存在した。

 

もちろん報道で武漢を起因とする原因不明の肺疾患とか

センセーショナルな見出しで報じられていた頃は

自分もマスクした方がいいかな、手洗いうがいをもっとしようかな

と自己防衛のために実施していた。

 

しかし、時が経つにつれて

原因不明のウイルスであるものの、症状は限定的

有名人の死で、恐ろしいウイルスとラベリングされたが

実際のデータで見れば、重症者、死亡者は極端に低く

世間の認識と、データの乖離に疑問を感じた。

 

そして、息苦しさ、肌荒れを理由にマスクをしなくなった。

それでも1年くらいはみんなと同じように着用はしていたが。

 

自分の行動を正当化するわけでも、美化するわけでもない。

 

他方から見れば、店側がマスクをお願いしているのに

それを無視して入店するなんて非常識だ。とも言える。

 

それも正しいと思う。

別に否定はしないし、世間体からそうせざるを得ない状況も理解できる。

 

しかし

最初に申し上げたように、任意なのだ。

だから私は

感染症に過度に恐怖しなくなったために着用しなくなった。

健康な人がマスクを着けていることに嫌気がさして着用しなくなった。

誰かに迷惑をかけたいがためではなく、ポジティブな理由があった。

社会問題に問題提起をし、自己で考えるきっかけになればいいとも考えた。

 

そうしているうちに世間のウイルスに対しての恐怖感も薄れ

感染症対策と呼ばれるものが、形骸化してきてクレーム対策に代わっていった気がする。

本来は感染しないため自己予防のためにマスクをし、手洗い、除菌をしていたが

徐々に社会活動も活発になり、マスクをしていることで、アルコール除菌をしていることで社会活動することが許されるような

いわば免罪符のようなものとして感染症対策が使われていなかっただろうか。

 

そして

ようやくマスクは個人の判断という政府が指針を示した。

最初にもいったが、私はこの判断を歓迎している。

みんながマスクを外せる環境になってきているから。

 

しかし、不安も覚える。

誰かが判断し、指示しないと従えない大人が多すぎる。

自己で判断し、行動するにも他人の目が気になりできない。

周りと足並み揃えないと自分だけ変な目で見られる。

そんな大人が多すぎる気がする。

 

もっと重要な選択を迫られた時

本当に自分で物事を整理してその時にベストでなくともベターな選択ができるか

周りに合わせて選択をするのではないか

信頼に足るのは、メディアの言葉でも、インフルエンサーの言葉でも、政治家の言葉でも、親の言葉でもない

簡単でもいいから自分で情報を整理し、必要なデータ分析をし、自分の言葉で考えたことに自信を持ってほしい。

そしてその考え方を自信を持って行動に移してほしい。