私の備忘録

少しでもずる賢く生きるために

行動することの大切さ

マッチを一回擦るだけでもいい。

何かやろうってする瞬間にやり始める

その線を越えることが大切。

 

分かっていてもできないことがある。

理性はフル回転しているのに

色々な事情で行動できないことはある。

 

社会的制約

経済的制約

家庭的制約

その他もろもろ数え上げたらキリがない

できない理由を挙げるのは簡単なくらい

 

何か衝撃的な事件を目の当たりにした時

感動的な映画を見た時

などなど感情が大きく揺さぶられた時なんかは

頭の中でああしよう、こうしようと色々考えるもの

 

例えば、今のロシアとウクライナの関係や

G7広島サミットのニュースに触れて

核兵器、戦争はよくないよねって当たり前の感情が生まれる

でも、それだけ。

よくないと思っていても、意図せずに戦争や紛争に巻き込まれることもあるし

核兵器を撃たれてしまえばそれでお終いだし

行動をしないがために、思っていても何も解決しないことはよくある。

 

自分が骨髄提供をすることもこれなのかも知れない。

ただ行動しただけ。

余っているものを必要な人に分けるだけ。

ただ行動しただけ。

 

骨髄提供をすることについて考えていた。

家族、会社に伝える上で、どうして自分は所謂自己犠牲をしているのか

安っぽいヒロイズムに憧れているからなのか

社会貢献のためだろうか

いろいろ考えていた。

 

もちろん全身麻酔や術後の痛みなどのリスクは不安である

骨髄提供しなくとも自分の身体は何の影響もないし

入院で仕事を休む必要もあるし、家族に会えなくなるし

 

それでも自分が骨髄提供するということは

行動をすることの証明なのかも知れない。

自分ではそうは思っていないが、他人からしたら重い決断なのかも知れない

その決断を下し、骨髄提供をするという行動をすることで

今後も行動力に自信を持って過ごせるんじゃないだろうかと

淡い幻想と、確固たる自信がある。

 

悪い行いなら躊躇するべきだけど

良い行いならすぐさま行動したい

それが自己犠牲だろうと行動したい

そんな人間になりたいというエゴなのかも知れない。

 

こんなエゴに家族を巻き込んでしまっていることは申し訳なく思う

それでも社会的に有意義な体験であるし

自分の行いで誰かの病気が治るなら良いじゃない

誰でも良いわけでなく、たまたま自分だっただけで

 

そんな気持ちを胸に

いよいよドナーとなるための最終同意が控えている

これを機にドナー提供のために準備が進んでいく

何事もなく全てが終わればいいな