私の備忘録

少しでもずる賢く生きるために

社会人が校則について思いをはせる

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卒業生の彼が、記事のように、ルーツを主張したかったのか、単に目立とうとしたのか、全く分からないが、今回の校則について全く合理的でないと思う。

 

自分が高校生の時、もちろん頭髪検査はあったが、もともと短髪であったために、さほど注意深く見られず、不毛な時間を過ごしていたことを思い出す。

 

さて、校則って一体何なのか。

 

本来の校則の意義は

学校の秩序を維持し、生徒の健全な成長を支援することを目的として設定されているはず。また、社会人としての基本的なマナーやルールを学ぶ場としても有効だと思う。

 

ただし、校則には時代に合わなくなっているものや、差別的な要素が含まれるものなどもある。異なる文化や背景を持つ生徒が増える現代においては、校則の適用にあたっては、生徒の多様性を尊重し、公正かつ柔軟な対応が求められる。

 

多様性という言葉が乱用されている現在において、多様性を尊重し、学び合い、共存するためには、多種多様な背景、文化、価値観を持つ生徒が存在することが重要だと思う。

今回の卒業式においても、生徒たちが自分らしいスタイルで出席することができるようにすることが望ましいと考えられるし、そのようなスタンスをとることで、生徒たちは自己表現の機会を得ることができ、自信を持って自分らしさを表現することができるようになると感じる。

 

ただし、一方で、校則は生徒の安全や健康を守るためにも存在することを忘れてはいけないのは重々承知している。

学校は社会の一部であり、社会で暮らすための基礎を学ぶ場でもある。そのため、校則は、ある程度の枠組みを提供することが必要であるが、その枠組みが多様性を尊重することに反するようなものである場合は、見直す必要があるはずだ。

 

例えば以下のような校則は目的が明確でなく無意味な校則だと思う。

髪型の制限

髪型によって学業に影響を与えることは考えにくいため。

靴下の色の統一

靴下の色の統一や丈の長さは学校の教育目的に直接関係がないため。

 

教育にはいろいろな側面があるが、学力を向上させるためだけではなく

社会に出るために自立した人間になるのが本質だと思う。


自分たちで考えることは、自己決定能力を高めることで自立につながると期待できる。

生徒たちがよりよい学校生活が遅れるように、教育関係者は抑圧するのではなく、失敗を恐れずに、生徒たちが主体的に考え判断する環境を整える必要があると思う。

 

そんな未来が訪れることを切に願う。