私の備忘録

少しでもずる賢く生きるために

自分の考えとは

自分自身で考えて判断する。

 


至極当然のことながら、自分の周りにはそれができない人が一定数いる。

一見、出来ているように感じるかもしれない。

なんせ、人間は常に物事を考え、判断を下しているのだから。

 


しかし、その考えは本当に自分自身で考えた事なのか。

権威ある人の言葉や、人気者の言葉を鵜呑みにして、借用して自分の考えとしていないか。

いろいろな情報に触れ、様々な価値観を知り、自分の考えを確立する。

これが考えるという事だと自分は思う。

 


もちろん、権威ある人の言葉や人気者の言葉は魅力的である。

ついついその言葉に傾倒してしまう気持ちもわかるが

むやみやたらに信じ切るのは危険だ。

 


自分の価値観、知り得た1次情報をもとに判断しないといけない。

判断するということは、つまり自分の言動に責任を持つことである。

生きていく上での全ての判断について回る責任は全て自分で負わなければならない。

 


3月13日

今までずっと任意(自由)だったマスクの着用について、改めて任意(自由)となった。

色々とモヤモヤするが社会にとって一歩前進だと思う。

 


しかし

予想通り、3月12日と何一つ変わらない光景がそこにはあった。

もちろん、この日を境にウイルスがなくなるわけでも弱毒化するわけでもない。

人間がウイルス耐性を身につけるわけでもない。

 


ただ政府が決めたこと。ただそれだけである。

したがって、まだウイルスを恐れている人は着用すればいいのだが

どうにもそうは見えない。

 


弊社の社員を見ていても、周りがまだ付けているからとか

他人の目が気になるから付けているとか

客と会うときは付けますとか

全ての判断を他人に任せて、自分自身で考えようとしていない。

 


周りに合わせることも自由の一つではあるけれども

最初に書いた、自分で考えて判断することからはかけ離れている。

空気感を尊重するというのが美徳と捉えられていたが

この騒動を振り返ると、そうとも言い切れない。

むしろ負の側面が多分にあったのではないかとも思う。

 


突出するのは嫌

だから皆と同じように自粛する

 


お金儲けは嫌

だから皆と同じように貧乏になる

 


空気感を大切にして周りと歩調を合わせると

その場は難なくやり過ごすことができるでしょう

でもいつかは破綻するでしょう

 


だから何度も言うけども

自分で考えて判断する。

 


これが今本当に大切だと心の底から思ってます。