私の備忘録

少しでもずる賢く生きるために

ヘッドフォンのススメ

ヘッドフォン、イヤホンと様々な種類がある。

スマートフォンBluetoothで接続でき、バッテリーも長持ちする昨今において

ヘッドフォン、イヤホンは必須アイテムになっている。

 

今回はそんなヘッドフォン、イヤホンについてのお話だが

この世界はある種の宗教だと感じているため

自分の感覚、経験に基づいた

尚且つ、音楽的趣向ではなく、エロに特化した内容になるので

その点留意した上で読み進めてもらえたら幸い。

 

アダルトビデオを見る時にヘッドフォンは重宝する。

テレビで見ようが、スマートフォンで見ようが

外に女優の喘ぎ声が響かない点は

こっそりたのしむスケベ男子のマストアイテムである。

近年のAVの世界は趣味趣向が多様化しているのは周知の事実であるが

撮影方法についても様々である。

 

変わり種の代表選手はやはり、VRだろう。

VRゴーグルをつけることで、あたかも目の前に女優がいるような

自分が主人公になったかのような錯覚に陥る

没入感を味わう上でVR作品は素晴らしい作品と言える。

 

VR作品でも特に自分がすごい体験ができたのは

バイノーラル録音作品だ。

ざっくり説明すると、耳元で囁かれている感覚がものすごいってこと。

ゾクゾクする感覚は、実際にエロいことをしている時に体験するのと変わらない精度の高さ。

このバイノーラル録音作品についてヘッドフォンの相性を語っていきたい。

 

バイノーラル作品を初めて見た時

自分はこのヘッドフォンを使っていた。

ヘッドフォン

いわゆるオーバーヘッド型で耳をすっぽり覆い被せるtheヘッドフォンって感じ

耳のすぐそばに音の出る部分があり、ヘッドフォン内の空気が震えて鼓膜に届く感じがするため

バイノーラルとの相性は抜群であった。

下品な表現をするなら、脳汁が耳からとろけ出るような

何とも気持ちのいい体験ができる。

視覚、聴覚とも気持ちがいいのはこのバイノーラル録音のいいところだろう。

 

他方で、やはりかさばるため気軽に使うということがなかなかできない。

そのため、今では耳にそのまま装着するこのようなイヤホンを使用している。

イヤフォン

今ではこのタイプのイヤホンが主流じゃないだろうか。

色々なメーカーから出ており、ノイズキャンセリング機能など集中するにはもってこいの機能もついている。

当然、このノイズキャンセリング機能はAVにも有効だろうと思い

このイヤホンで同じくバイノーラル作品を見た。

 

んんんん????

 

何だかそんなに気持ちよくない。

 

周囲の雑音が聞こえない点はほぼ同じだが

何だか、気持ちよくない。

この一言に尽きる。

 

専門的な知識ではなく、これは憶測というか感想だが

このタイプのイヤホンは音の出る部分が鼓膜に近すぎるため

ダイレクトに音が脳内に響いているのだと思う。

確かに、激しいロックとかはこれでも良いのかもしれないが

バイノーラル作品では気持ち良さが表れていなかった。

耳元で囁かれているという感覚はなかった。

 

オーバーヘッド型のヘッドフォンの方が、実際に耳元で囁かれている状況に似ているのだろう。

耳全体を空気で揺らすか、鼓膜をダイレクトに揺らすかの違いでこんなにも差が出るなんて

 

長ったらしくなったのでここで結論づけるとする。

VRバイノーラル録音)を見るならオーバーヘッド型のヘッドフォンを使うべし!!

それ以外のAVならば、イヤホンでも問題なし。

 

読んでくれているあなたの、より良いエロ体験のために、参考になれば嬉しいです。

バイノーラル作品もっと増えてほしいな。

ニュートン別冊「バイアスの心理学」を読んで

ニュートン別冊を読んで目から鱗の事だらけだったので一部紹介したい。

 

「バイアスの心理学」



バイアス=偏り

であり、近年「認知バイアス」という言葉をよく耳にする

「認知」とは知覚、記憶、思考などをさし、認知バイアスはこれらの記憶や思考などの偏りやゆがみで、考え方のクセといわれている。

このようなバイアスは無意識下に誰にでも存在している。

すばやい判断や心の安定に必要な場合もあり、必ずしも悪いものではない。しかし極端な偏りは命にかかわるほか、差別や偏見といった問題につながる。

 

その人の思考や思想は18歳までに身につけた偏見であるとか、どこかの偉そうな哲学者が言っていた気がするけど

今ではこの認知バイアスによって科学的に説明できることに感動した。

 

「外集団同質性バイアス」

自分が属している集団=内集団

については多様な人物がいると思い、それぞれを区別して認識することが出来る

他方で自分が属していない集団=外集団

についてはその集団の人々は画一的に見えてしまう

というバイアス

 

例えば映画なんかがそれである。

日本人しかでない邦画であれば、たとえ知らない俳優が演じていても、登場人物の区別は容易に判断がつくが、

洋画で登場人物が同じような格好をしているような場合は区別が難しくなる。

また、サッカーの国際試合なんかでも自国の選手は顔の判別がつくが、相手国の選手の顔の判別は難しく、背番号で判断するような事がこれあたる。

 

自分は戦争映画が好きで、ブラックホークダウン、バンドオブブラザース、プライベートライアンなど見たが、軍服を着た外国人の区別は困難で、何度か繰り返し見ることで、ようやく区別することが出来た。

ひょっとすると、自分は人の顔を覚えることが苦手なのかと若干のコンプレックスを抱いていたが、このバイアスによって仕方がないものと説明された気がして、心が軽くなった。

 

「集団への同調」「少数派への同調」

日本はよく同調圧力が強いと言われがちである。

例えば、会社で定時になり、自分の仕事も終わったのに、周りが帰らないから帰れないとか

行列のあるラーメン店に行きたくなるとか

これが集団への同調である。

人間は社会性を重んじる動物であるからこそ、集団から逸脱することに恐れやすいことからこのバイアスがあるという。

他方で、少数派であっても同調するという。

ブルーグリーンパラダイム実験のなかで、3人の被験者に同時に様々な色相の青いスライドを見せ、何色かを判断する実験を行った。そのなかで、わざと緑と答えるサクラを用意した結果、サクラが一貫して緑と答えると、何も知らされていない被験者も徐々に緑と答えるようになった。このように少数派でも一貫性がある場合は少数派へ同調してしまうというバイアス。

 

結局のところ、意志の弱さや、他者への依存度が高い場合は集団や少数派に同調しやすいということらしい。

実生活でもこのバイアスに気をつけながら考え、行動しないと、自分の考えが、他者に依存してしまうと思うとゾッとしてしまう。

 

バイアスは人間が長い歴史の中で培ってきた能力である一方で、本質的な考えや思想が見えにくくなってしまう諸刃の剣だと感じた。

このようなたくさんあるバイアスを知っておくことで、今自分にバイアスがかかっているなとか、あの人はバイアスがかかって判断が曇ってしまったとか、推察できるのかもしれない。

 

自分の行動や思想に何かしらの説明がつかないとき、このバイアスが原因なのかもしれない。

そう考える事で、少し気持ちが楽になる気がしている。

デジタル化はどんどん推し進めるべし!

マイナンバーカード、電子帳簿保存法、などなど

さまざまな分野でデジタル化が進んでいる。

デジタル化の初歩として、ペーパーレス化が挙げられる。

会社で扱う書類、個人の保険証などをペーパーレス化してデジタル化しようというのがコレ。

 


弊社でもデジタル化がある程度進んできた。

その陣頭指揮を自分がとってきたのだが

60年以上続く中小企業では、紙文化が根強く残っており

意識を変えることはなかなか大変であった。

 


真っ先に顧客から受信するFAXをPDF(データ)で受信し

コンピュータ上で閲覧、処理、返信することから始めた。

今時、FAXでの注文が主流なのは日本の文化なのかもしれない。

メールで済むだろう。と思っても日本中どの業界でもFAXが主流なのだから致し方ない。

それならば受信する側で、紙に印字するのをやめてデータ化しようとしたのがきっかけ。

 


ある程度コンピュータ操作に慣れている若手社員から導入し時間をかけて定年間近の社員にも導入していった。

「紙じゃないと、よくわからない!」

「データが消えたらどうするんだ!」

と野次られたりもした。

デジタル化を推進する身としては半ば強引に、

モニターを用意して、閲覧画面と作業画面を分けさせ

つきっきりで教育もした。

 


こうした定年間近の社員は、最初は渋々操作してくれていたが

1ヶ月もすれば操作も慣れ、まだ操作に不慣れな人にアドバイスをする始末。

導入当初の不安は今では全くない

 


小さな会社の話かもしれないが

今日本が歩むべき道もこれと同じだと思う。

 


マイナンバーカードの登録が難しいやら

誤って登録してしまっただとか

ネガティブな情報ばかりニュースになるけれど

デジタルに移行する際の手入力は人間によるものであるならば

その微々たるヒューマンエラーにめくじらたてて

デジタル化した際の恩恵を受けれなくするなんて愚の骨頂

 


デジタル化でデータ集約して、導き出される答えの角度が高くなるはず(そう期待している)

もちろん何でもかんでもデジタル化が良いわけではない

 


例えば、人とのコミュニケーションは実際に相対することで

リモートで画面越しに話すよりも、仕草や、表情、間合いといった

人間らしい情報を手にすることができる。

これは人間が人間らしくいるために必要なことであるし

昨今のリモートワークの普及で改めて、実際に相対するコミュニケーションの必要性もフォーカスされている。

 


今まで人間行っていた単純作業をデジタル化でコンピューターに任せ

人間はもっと人間にしかできないことに注力することで

もっと付加価値の高い社会貢献をしていこうってのが将来的な展望であると思う。

マイナンバーカードと保険証の一体化は多少強引な感じはあるものの

得られるメリットのことを考えれば早く進めないともったいない。

 


いろんな利権がらみのいざこざが予想されるけど

何とか敢行してデジタル化の弾みにしてほしい。

少子化対策って法律で解決できるかしら?

異次元の少子化対策が何かと話題。

どの政策が異次元なのか!

財源はどうするのか!

これ以上増税するのか!

とかとか

 

この目的は、少子高齢化のスピードを遅くすること。

どこの先進国も同じ課題を抱えており

どこの先進国も具体的な解決策がない。

成功事例もないから手探りになるのは仕方がない。

 

このまま何も手を打たなければ、日本の人口は8,000万人以下となり、そのうちの高齢者割合が高くなり

現在の社会保険制度が成り立たなくなるという

最悪なシナリオが待ち構えている。

 

少子化対策として

児童手当の拡充、所得制限撤廃

保育サービスの充実

育児休業取得の推進

出産支援、医療保険適用

が挙げられている。

 

政治家が法律を作り

政府が法律を基に行政を行う

これが仕事、役割というのは理解している。

 

でも法律をいくら作っても、肝心なことが忘れられていないだろうか。

 

子供を産み、育てたいと現役世代が思うマインド

これが全てじゃないだろうか。

 

例えば、タピオカがブームになった時のようにさ

特段に美味しくもなくて、健康にもよくなさそうなのに

新規店舗が乱立して、行列が行列を作り

タピオカが若者のトレンドだった。

タピオカ飲んでる自分イケてるとSNSに投稿したり。

 

それと同じように出産、子育てがトレンドになれば

子育てしている自分イケてるというマインドになって

出生率も上がってくるんじゃないだろうか。

 

そのための土台を作るための法律であることもわかる。

けれども土台だけ作ってもその上にそういう雰囲気がなければ変わらない。

 

あたかも、土台だけ作っておいて

「さぁ、子供よ増えろ!!!」と考えてそう。

仮に自分が20代前半だった頃に、この異次元の少子化対策が実施されていても

結婚して、子供作ろうと前向きに思える自信がない。

漠然とした不安は拭いされないし

周りも出産はおろか結婚もしていない。

やはり雰囲気が醸成されていないとダメだと思う。

 

この社会問題は法律や行政だけでは解決できないこの国の課題だ。

 

一人一人がこの課題に向き合う必要があると思う。

自分には何ができるだろうか?

未就学児を育てる子育て世代として何ができるだろうか?

 

楽しい雰囲気や幸せな雰囲気などポジティブな大人像を結婚していない世代に伝えることかも。

もちろん子育ては一筋縄では行かないこと、うまく行かないこともたくさんある。

けれども、そのネガティブなイメージが先行して出産に躊躇している人がいるならもったいない。

子育て未経験の世代に対して、子育てのポジティブなイメージを与える

それも先輩世代の役目じゃないだろうか。

 

子供は社会の宝物。

ならば政治家に任せっきりじゃなくて

社会全体で、個人個人が考え行動しよう

行動することの大切さ

マッチを一回擦るだけでもいい。

何かやろうってする瞬間にやり始める

その線を越えることが大切。

 

分かっていてもできないことがある。

理性はフル回転しているのに

色々な事情で行動できないことはある。

 

社会的制約

経済的制約

家庭的制約

その他もろもろ数え上げたらキリがない

できない理由を挙げるのは簡単なくらい

 

何か衝撃的な事件を目の当たりにした時

感動的な映画を見た時

などなど感情が大きく揺さぶられた時なんかは

頭の中でああしよう、こうしようと色々考えるもの

 

例えば、今のロシアとウクライナの関係や

G7広島サミットのニュースに触れて

核兵器、戦争はよくないよねって当たり前の感情が生まれる

でも、それだけ。

よくないと思っていても、意図せずに戦争や紛争に巻き込まれることもあるし

核兵器を撃たれてしまえばそれでお終いだし

行動をしないがために、思っていても何も解決しないことはよくある。

 

自分が骨髄提供をすることもこれなのかも知れない。

ただ行動しただけ。

余っているものを必要な人に分けるだけ。

ただ行動しただけ。

 

骨髄提供をすることについて考えていた。

家族、会社に伝える上で、どうして自分は所謂自己犠牲をしているのか

安っぽいヒロイズムに憧れているからなのか

社会貢献のためだろうか

いろいろ考えていた。

 

もちろん全身麻酔や術後の痛みなどのリスクは不安である

骨髄提供しなくとも自分の身体は何の影響もないし

入院で仕事を休む必要もあるし、家族に会えなくなるし

 

それでも自分が骨髄提供するということは

行動をすることの証明なのかも知れない。

自分ではそうは思っていないが、他人からしたら重い決断なのかも知れない

その決断を下し、骨髄提供をするという行動をすることで

今後も行動力に自信を持って過ごせるんじゃないだろうかと

淡い幻想と、確固たる自信がある。

 

悪い行いなら躊躇するべきだけど

良い行いならすぐさま行動したい

それが自己犠牲だろうと行動したい

そんな人間になりたいというエゴなのかも知れない。

 

こんなエゴに家族を巻き込んでしまっていることは申し訳なく思う

それでも社会的に有意義な体験であるし

自分の行いで誰かの病気が治るなら良いじゃない

誰でも良いわけでなく、たまたま自分だっただけで

 

そんな気持ちを胸に

いよいよドナーとなるための最終同意が控えている

これを機にドナー提供のために準備が進んでいく

何事もなく全てが終わればいいな

オカズはあるが、オカズはたりない

先日の話。

男性にはよくあることだと思うが。

オカズ不足の話。

 

これは物質的な、いわゆるごはんのオカズではない。

言い換えるならばネタ不足。

これで察知してくれればいいのだが。

 

昔ながらの言葉ならズリネタ。

 

まぁちょっとたまには猥談でもいいじゃない。

寛大な心で見守ってください。

 

その夜は、オカズが決まらなかった。

世はまさに飽食の時代。

インターネットの上澄み部分を少しすくうだけでもたくさんネタはある。

SNSにだってあるんだから困ることはない。

ちょっとした単語を検索すれば膨大なデータが閲覧できる。

便利な世の中である。

 

物質的に豊かになった人類は、量では飽き足らず

より美味しい食べ物を探し出すために香辛料を求めて大航海時代に突入したように

エロの世界でも

より、エロいものを探そうと、男性諸氏は孤軍奮闘するのである。

至極当然の流れであり、誰もそれを止めることなどできない。

 

音楽のジャンルが多岐にわたるように、エロのジャンルも多岐にわたる。

ジャスの中にフリージャズやディキシーランドジャズがあるように

ロックの中にパンクロックやハードロックがあるように

ジャンルは細かく細分化されている。

 

細分化されるというのは

自分の好きなカテゴリーが明確であればとても重宝する

しかし、好きなものがまだ定まっていない人にとっては

細分化ジャングルの中に放り込まれ、道を失うことがままある。

 

また、ジャンルは輪廻転生する。

例えば好きな音楽のジャンルがジャズ、クラシック、ロック、ポップス、ジャズのように

ぐるぐると回るようにエロのジャンルも

熟女、近親相姦、ギャル、エステもの、熟女などなどぐるぐる回る。

 

話が大分それてしまったが

あの夜は、オカズが決まらなかった。

 

熟女、ギャル、、、と右往左往しながら行き着いた先はエステものだった。

 

エステものをダラダラと見ながら、あれでもない、これでもないとまた右往左往する。

飽食の時代だからこそできる、贅沢な悩みであるのは間違いない。

 

結局、これだ!!というのは見つからず

昔に見たことのある作品から探そう!!となったものの

肝心要のタイトルがわからない

 

エステものは今や、大人気ジャンルで、類似作品が多数ある為

似たようなタイトルがたくさんある。

また、パッケージもエステ特有の下からのカメラアングルであり

どれもこれも同じに見える。

 

少ないヒントからようやく見たことのあるタイトルを見つけ

いざ、購入しようかと検討段階に入ったが

すでに、エステものの気分ではなくなっており

結局熟女ものの過去作品をオカズにすることにした。

 

賢者タイム(理性が本能に勝つ時間)にはいり

オカズが定まらなかった自分を振り返る。

本能に負け、衝動買いしなくて良かった。

しかし、悩んだ無駄な時間は戻らない。

 

悩める戦士たちよ

今夜も一人、大海原へと旅立つあなたに幸運あれ!!!

空気を読む弊害

3月13日を境にマスク着用が緩和された。

よく分からない表現である。

以前から着用は推奨(任意)であったにも関わらず

この日を境に着用は任意となった。

 

ともあれ、どこか店舗に入る際などにマスクをしていなければ

目くじらを立てて「マスクしてください!!」とまくし立てられる事はなくなった。

そういう点では気が楽になったのかな。

 

しかし、間もなく1ヶ月経つが

体感的にはまだ9割近くの人がマスクの着用を続けている。

もちろん春は花粉症の時期ではあるが

そもそも4年前は花粉症の時期でもマスクをしていれば

「どうしたの?風邪でもひいているの?」

「いいえ、私は花粉症なのでマスクをしています」

なんて会話が散見していたようにも思う。

 

つまり、花粉症の時期だからというのは嘘も方便なだけであって

単純にまだマスクを着用したい人が大半なのだと思う。

 

マスクの効果、ワクチンの効果など医学的見解は置いておいて

社会的にこの状況は一刻も早く改善すべきと思わないだろうか?

 

健康な人、特に子供たちがマスク着用を強要されていないか?

もちろん任意となってはいるが、周りの目を気にする国民性は

幼い子供たちにも当てはまる。

友達が着用しているから、先生がしているから、親がしているから

そんな環境であれば、どこかの偉い人が着用任意ですよなんて呼びかけたところで

子供たちが外す理由になるわけもない。

 

変わるべきは大人からであるのは間違いない。

 

どうして変われないのだろうか。

 

群集心理における群衆になりさがってしまっていないだろうか。

自分で考え、判断することで手にできる自由を放棄し

集団の中で集団の意志決定に身を任せることで、楽を手にしていないか。

そんな風に思う。

 

どんな理由があるのか分からないが

周りからの目を気にして、空気を読むことでしか行動できないようであれば

全くもって愚かであると強く言いたい。

 

弊社内でも「いつになったらみんなマスク外すかな??」

とかいう会話で一部が盛り上がったいたが

あなたのような人がいる限り、一生外せない!!と言いたくても

各種ハラスメントが頭をよぎって本音を言えない自分がもどかしい。

ごめんなさい。

 

きっと感染症法上の分類が5類に変わっても

今年の夏どんなに暑くても

どんなに熱中症リスクが高くなっても

こうした人はマスクを着用し続けると思う

なんなら、この先ずっと着用し続けると思う

 

目に見えないこの国独特の文化

『空気を読む』

こいつが実に厄介だと感じる。

一昔前には空気を読めない人をKYと罵り

空気をうまく読むことでいかにその場をやり過ごすかが問われた。

 

確かに空気を読むことは大切なことかも知れない。

相手が何を考えているのかを探る

会議の着地点はどこなのかを探る

ビジネスにおいて空気を読む事はますとなスキルであることは間違いない

 

ただ、この騒動においては少々過敏に空気を読み過ぎていると思う。

流行初期、人々の経済活動が鈍化し、企業は疲弊した。

それでも健全に経済活動するために感染対策の実施を全面に出した。

従業員のマスク着用

アクリルパーテションの設置

入口の検温消毒

それらを実施していれば消費者も安心して利用購買できる

 

東京駅に人っこ一人いないデストピアのような光景を実際に目にした。

確かにこうでもしないと消費者の不安心理を拭い去ることはできない。

流行初期の何もわからない時には有効だったのかも知れない。

 

それでも時がたち、ワクチンも普及して

多くの人が罹患してわかったこともあるのに

どうして流行初期の対策が今も残っているのか

どうして情報のアップデートができないのか

どうして思考停止しているのか

 

一人一人が空気を読み過ぎている他ないと思う。

 

友達とのランチで、自分だけマスクしていなかったらどう思われるか

会社で自分だけがマスクしていなかったらどう思われるか

得意先に訪問する際にマスクしていなかったらどう思われるか

とかとか

 

どうも相手のことを過剰に意識し過ぎていないか

そして空気を読むことに疲弊し

そこまでするなら周りに合わせてマスク着用し続けよう

その方が考えることないし楽だし

というのが思考回路だと思う

 

まぁ長ったらしく書いてはいるが

まとめるならこうだ

この新型コロナウイルス騒動で分かったことは

日本人は空気を読みすぎることで個人の判断ができなくなっている

きっと昔からそうだったのだろうけど気が付かなかっただけで

これは弱点であると認めて克服すべき課題だと思う。

 

以上終わり。